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神戸地方裁判所 昭和55年(ワ)558号 判決 1982年5月27日

原告

(旧姓松井)砂田香

右訴訟代理人弁護士

甲田通昭

田中泰雄

被告

住友ゴム工業株式会社

右代表者代表取締役

横瀬恭平

右訴訟代理人弁護士

佐々木信行

(ほか三名)

主文

一、原告が被告の従業員たる地位を有することを確認する。

二、被告は原告に対し、金二九八万五六六八円及び昭和五五年六月以降毎月二〇日限り金八万一六五〇円ずつを支払え。

三、訴訟費用は被告の負担とする。

四、この判決は、第二項に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  主文第一ないし第三項同旨

2  主文第二項につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  被告(以下会社ともいう。)は、タイヤ・スポーツ用品等の製造販売を目的とする、資本金約六三億円、従業員数約四〇〇〇名の株式会社である。

2  原告は昭和五一年一〇月一三日会社に入社して、本社と同住所の神戸工場で製造第三課仕上げ班に勤務し、次いで昭和五二年三月一四日からは同課ペイント班所属となり、右各業務に従事してきた。

3  被告は原告を昭和五二年四月一〇日をもって退職したものとして取り扱い、同月一四日原告に対し既に退職になっている旨申し渡し、原告の就労を拒否した。

4  原告の賃金は昭和五二年四月現在月八万一六五〇円であり、前月末日に締め切って毎月二〇日に支払われる定めである。

5  よって、原告は被告に対し、原告が被告の従業員たる地位を有することの確認と昭和五二年四月一四日以降昭和五五年四月分までの一か月につき金八万一六五〇円の割合による賃金合計金二九八万五六六八円及び同年五月分以降の賃金を同年六月から毎月二〇日限り金八万一六五〇円ずつ支払うことを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1、2の各事実は認める。

2  同3のうち、被告が原告の就労を拒否した事実は否認するがその余は認める。

3  同4の事実は認める。

三  抗弁

原被告間の雇用契約は、左の理由により昭和五二年四月一〇日をもって終了し、原告の会社従業員としての地位は消滅した。

1  原告は、会社を退職する旨記載した昭和五二年四月一〇日付退職届を会社に郵送し、右退職届は同月一二日会社に到達した。会社では、就業規則一五条一号により、従業員が退職を願い出て会社が受理した場合には退職とする旨の定めがあるので、被告は右退職届を就業規則の右条号の願出にあたるものとして受理し、ここに原被告間の雇用契約は終了した。

2  右退職届は、原告が自ら署名捺印したものではないが、原告の依頼または承諾により原告の実父松井雄飛太郎が代筆して郵送したものであり、したがって原告の意思によるものである。

3  仮に右退職届提出が原告の真意によるものでないとしても、原告は実父が退職届を作成して提出することを知りながらこれに同意していたものであるから、右退職の意思表示は、その表意者が真意でないことを知ってなした心裡留保にあたるものであり、その効力を妨げられるものではない。

4  また、原告の実父が退職届を代筆して提出することにつき原告の事前の承諾がなかったとしても、原告は、父親代筆の退職届が既に会社に提出されていることを知りながら、同年四月一三日午前一一時ころ自宅において、母親を通じ、健康保険被保険者証、社員証、会社内更衣室に備付のロッカーの鍵を直属の上司である製造第三課ペイント班職長伊藤治に返還しているから、これによって実父の行為を追認しているというべきである。

四  抗弁に対する認否

被告の抗弁のうち、会社就業規則一五条一号の定め及び退職届が原告自ら署名捺印したものではなく実父雄飛太郎が作成郵送したものであることは認めるが、その余の事実は否認する。原告は本件当時退職の意思を有していなかったのはもちろん、実父に退職届の作成、提出を依頼したことも承諾したこともない。被告は原告の思想を嫌悪し、何としても原告を会社から排除しようとの計画的な意思の下に原告の両親に働きかけ、そのため両親は原告に退職を強く説得したがその同意を得られなかったため、実父が原告に無断で退職届を作成し郵送したものである。

第三証拠(略)

理由

一  請求原因1、2の各事実は当事者間に争いがない。

二  会社就業規則一五条一号によれば、従業員が退職を願い出て会社が受理した場合には退職とする旨定められていること、原告の実父松井雄飛太郎が原告名義の退職届(以下本件退職届という。)を作成して被告に郵送したことは当事者間に争いがなく、いずれも(証拠略)によれば、右退職届が昭和五二年四月一二日会社に到達したため、被告では即日これを就業規則の前記条号に定める退職の願出にあたるものとして受理し、退職届の作成日として記載されていた同月一〇日をもって原告が退職したものとして事務処理していることが認められる(被告が原告を同月一〇日をもって退職したものとして取り扱っていることは、当事者間に争いがない。)。

三  そこで、本件退職届が原告の依頼または承諾により作成提出されたものであるか否かにつき検討すると、(証拠略)によれば、退職届作成前原告の実父雄飛太郎が原告に対し会社をやめるよう説得し、十分話合った末、原告から退職することの同意を得、退職届作成を依頼されたため、原告に代って本件退職届を作成し会社に郵送した趣旨の記載がある。しかしながら一方、(証拠略)によれば実父雄飛太郎は原告に会社をやめるよう説得したものの、原告が最後まで退職に同意せず、実父が一方的に退職届を書いて郵送した旨の記載があり、(証拠略)によれば、(証拠略)は、実父雄飛太郎が会社製造第二課第三課各課長代理岸本吉生の依頼により、特に(証拠略)は同人からできるだけ原告が退職する意思を示したことを出してもらいたいとの意向を示され、会社に協力する趣旨で作成したものであることが認められ、後記認定の当時の雄飛太郎の心境をも併せ考えれば、(証拠略)の各記載はにわかに信用することはできないというべきである。

かえって、(証拠略)によれば、原告の実父雄飛太郎は、昭和五二年三月二九日及び同年四月五日の二回にわたり、近隣の居住者という者から、電話により、原告は日本共産主義青年同盟の活動に参加している、右組織は日本共産党の左派に属しているが、いずれは過激派となり、一旦組織に入るとやめるのが困難であって、会社は右組織の活動で大変迷惑している、近所には会社の社員も多く居住しており、そういううわさが広まればお宅も困るであろうから、原告を右組織から脱退させ会社もやめさせてはどうか、という趣旨の連絡を受け、さらにその後自宅に訪問を受けて同様の話を聞いたこと、原告の父はこれを聞いて驚き、会社に迷惑をかけているなら原告のためにも原告を右組織から脱退させるとともに何としても会社を退職させようと決意し、右二度目の電話を受けたことから、原告に対しその母とともに前記脱退及び退職を繰り返し説得したが、原告と意見が対立し同人が容易にこれを了承しなかったため、原告を殴打し物を投げるなどの暴行を加える事態もあったこと原告は同年四月一三日夜に家出したうえ、同月一四日朝には会社に赴き、自ら退職届を作成提出したことはないとして強く就労を要求したことが認められ、右一連の経過と、既に成人となっている原告が、自己の将来にとって重要な意味をもつ退職届を、これを自ら記載するのに何ら支障がなかったはずであるのに、父に代筆を依頼するということはきわめて不自然とみられることを考え合わせると、原告は実父の強い説得にもかかわらず会社を退職することに同意せず、実父に退職届の作成を依頼したことも承諾したこともないと認めるのが相当である。

なお、(証拠略)によれば、原告の両親は昭和五二年四月一四日、会社に就労要求に赴いた原告に対し、原告が退職に同意して依頼したから原告の父が退職届を作成したものである旨発言したこと、原告が同月六日から一三日まで土曜、日曜の休日を除き六日間無断で(六日は原告の母親が電話で会社に連絡したのであるが、原告は母親に欠勤の届出を依頼したことはない。)会社を欠勤したことが認められる。しかしながら、前者の発言は、前記認定の各事実によれば、何としてでも会社を退職させたいと願っていた原告の両親が、既に自らの手で原告名義の退職願を作成送付していたため、会社の上司の目の前でその場を糊塗した発言であると推認され、後者の無断欠勤は、右に掲げた各証拠によれば、当時原告はその両親から退職及び前記組織からの脱退を強く説得されていた時期にあたり、折から風邪気味であったことも重なって、原告は精神的にも肉体的にもかなり疲労していたことがうかがわれ、後で病欠ということで届出をすれば足りると考えて会社に連絡しなかったということもあながち不自然であるとはいえない(会社就業規則((<証拠略>))二五条によれば、欠勤のときは少なくとも事前に電話等の手段によって会社に連絡しなければならないことになっているが、原告がすべての場合にそのとおり厳格に履行しなければならないと考えていたとは解されない。)から、右の各事実をもって原告が当時退職の意思をもっていたことの徴憑とすることはできない。

そして他に原告が退職を決意し、その依頼または承諾により実父雄飛太郎が退職届を作成送付したことを認めるに足りる証拠はない。

四  次に被告は心裡留保の主張をするが、原告において実父が原告名義の退職届を作成して提出することを同意したとは認められないことは前項で認定したとおりであるから、原告が真意でない退職の意思表示をしたとはいえず、被告の右主張は前提を欠きこれを採用することはできない。なお、(証拠略)によれば、原告の実父は、本件退職届を作成送付する前に、原告の同意は得られなかったものの、退職届を作成提出すること自体は原告に告げたことが認められるが、原告が右行為を察知しながらこれを阻止しなかったからといって、原告が真意でない意思表示をしたといえないことは明らかである。

五  さらに被告の追認の主張について判断すると、原告の実父が原告の意思に基づかずに原告名義の退職届を作成提出したとしても、事後に原告がこれを追認すれば、右退職の申入は当初から有効になると解される。そして原告の実父が退職届を作成送付する前に原告に対しその旨を告げていたことは前項で認定したところであり、(証拠略)によれば、原告の実父は、現実に原告名義の退職届を作成して郵送したことを、遅くとも昭和五二年四月一三日に後記伊藤治職長が自宅に訪れるまでに原告に対し告げたことが認められ、右認定に反する(証拠略)は信用することができない。

この点につき、(証拠略)には、「今日は出ない、退職届は送った、決意がにぶってくる」との記載があり、右文言及び右各証拠によればこれは昭和五二年四月一〇日原告の父が退職届を郵送した後同月一三日原告が家出するまでの間に作成されたものと推認でき、これも原告が退職届郵送の事実を事後に知ったことの資料とすることができる。(ただ、その文言からだけでは、原告自身が退職届を送付したといえないことはもちろん、実父の退職届送付を同意していたことを認めるに十分ではない。)

そこで被告主張の昭和五二年四月一三日の状況をみると、(証拠略)によれば、同日午前一一時頃会社製造第三課ペイント班職長で原告の直属の上司にあたる伊藤治が、会社所定の様式の退職届を整えることとその他の事後処理のため原告の自宅を訪れた際、原告自身とは面談しなかったが、その母から、原告が会社から交付を受けていた社員証、健康保険被保険者証及びロッカーの鍵の返還を受けたことが認められる。しかしながら、右社員証等が原告の意思に基づいて返還されたことについては、(証拠略)によれば、右伊藤の来訪を受けた際、原告の母が原告の部屋に赴き、原告本人から右社員証等を受け取った趣旨の記載があるが、これらはいずれも原告の父がその妻から伝聞したことの供述であり、これに反する(証拠略)があるうえ、(証拠略)によっても当時原告は二階の自室で布団をかぶって寝ていたというのであり、前第三項で認定したそれまで原告がその父の強い説得にもかかわらず退職に応じなかった状況、原告が前同日夜家出して翌一四日に会社に赴き強く就労を要求したことなどを考慮すると、前記実父の伝聞供述をもって原告が父親の退職届提出を事後に容認しこれを追認したとはとうてい認定することができない。他に右追認の事実を認めるに足りる証拠はない。

六  以上原被告間の雇用契約が終了した旨の被告の抗弁はいずれも理由がないから、原告は被告の従業員としての地位を有するというべきである。

七  (証拠略)によれば、原告が賃金の支払を請求している昭和五二年四月一四日以降被告は原告の就労を拒否していることが明らかであるから、同日以降の賃金が支払われたことの立証のない本件においては、原告は被告に対し同日以降の賃金を現在までの分はもちろん将来の分についても予め請求することができるというべきである。そしてその請求しうべき賃金額は、原告の賃金が同年四月現在月八万一六五〇円であり、前月末日に締め切って毎月二〇日に支払われる定めであったことが当事者間に争いがないので、原告主張どおり同年四月一四日以降昭和五五年四月三〇日までの分として合計金二九八万五六六八円(昭和五二年四月分は日割計算)並びに昭和五五年五月以降の分として同年六月以降毎月二〇日限り金八万一六五〇円ずつの金額となる。

八  よって、原告の本訴請求は理由があるからこれを認容することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を、それぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 西内辰樹 裁判官 清田賢 裁判官 上原健嗣)

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